境内のご案内
数多く歴史が香る長楽寺 境内
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1.長楽寺 本堂
平成17年檀信徒により再建されたもので、三代将軍 徳川家光の寄進による当寺の本尊、釈迦・文殊・普賢の三尊仏も、ここに安置されている。室町時代より続く宮大工 大幸社寺工務店の作である。 -
2.三仏堂
承久3年(1221)、当時の開基 徳川義季の建立と伝えられている。その後、慶安4年(1651)に三代将軍家光が大旦那となって再造されたことが、陳札によって明瞭である。現在の建物は、昭和60年に改修されたもの。間口13.8m、奥行き10mで、中に三体の仏像が並んでいる。県重文。 -
3.三仏堂三尊仏 阿弥陀如来像
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4.弥勒菩薩像
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5.釈迦如来像
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三仏堂の中に安置されている三体の木造仏。向かって右から釈迦如来(高さ3m)、阿弥陀如来(3.3m)、弥勒菩薩(2.7m)。
それぞれ、過去・現在・未来を表している。その大きさには、目を見張るものがある。 -
6.忠霊塔
この忠霊塔は昭和21年世良田村によって建てられました。当時の世良田村は「世良田・出塚・粕川・徳川・小角田・三ツ木・西今井・上谷島・境村・女塚・米岡・平塚の十二大字」で構成されていた。忠霊塔には1877年(明治10年)の西南戦争から太平洋戦争まで245名余りの英霊が祀られています。 -
7.蓮池と渡月橋
「心」の字を型どっていることから、心字池とも呼ばれている。後鳥羽上皇が当時に賜った勅額から、鎌倉時代にはすでに存在していたと思われる。この池のほぼ中央には、渡月橋が架けられている。擬宝珠の欄干が付く、石造りの太鼓橋である。 -
8.県重要文化財 勅使門
この門は徳川二代将軍秀忠公が日光に建てられた東照社の社殿を長楽寺に移築する際に新しく作り建て替えられた銅板葺き総丹漆塗四脚門勅使または幕府の上使が参向する際。あるいは新住職が入山する時以外は開かれなかったので(あかずの門)とも呼ばれている。蛙股には天海大僧正の定紋(二つ引き両)が見られることから大僧正がこの門の構築に関与したと考えられている。 -
9.太鼓門
当時の什宝を収蔵する宝蔵の南東に接して立ち、鼓楼ともいわれている。その昔、時報や行事の合図のため、楼上に太鼓を置いていたことからこの名がある。現在、太鼓はなく、明治9年に旧鐘楼から移された鐘も戦時中に供出されてしまっている。昭和57年に重要文化財に指定されている。 -
10.鐘楼堂
長楽寺の鐘楼は時を知らせる鐘ではなく、心の中で願い事を二回念じ鐘を一回突くと、鐘の響きに願い事をのせて仏界に届けて頂ける鐘に成っております -
11.宝塔(文殊山)
文殊山南西隅にある、石造の塔は宝塔と呼ばれ、当寺第三代住職院豪が造立したもの。鎌倉時代の優れた石造美術品として知られ、昭和36年、国の重要文化財に指定されている。開基義季供養のため建立されたものと考えられている。台石底面に建治2年12月25日の刻銘がある。 -
12.開山堂
当時の開山、栄朝禅師の像がまつられているところから、この名がある。像の左右には、伝徳川義季夫妻像を、奥の壇上には、達磨大使、月船琛海、一翁院豪、天海、円義の木造が安置されており、当時の歴史を静かに物語っている。同正面の「開山堂」の掛額は、松平定信の真筆である。 -
13.石燈籠と十三重石塔
新田一族供養塔 -
14.開山 栄朝禅師の墓
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15.牛石
徳川義季公の招きで上野国に来られた栄朝禅師の荷物を担ぎ一緒に旅をしていた牛が世良田に付くと現長楽寺開山堂前に座り込み動かなくなり困り果てた禅師は、牛にお水を与えようと辺りを探しておると蓮の花が咲き乱れている池があり、それを見た禅師は此処こそ自分の修行の場所と決め庵を建てたと言われており横たわった牛が石に変わった事から牛石と言われ始めました。この牛石に座りお願い事とすると牛が願い事を仏界に届けて下さると言われております。尚、近年は此処で子授かりのお願いをされた方で子供を授かったという方が沢山おられ、子授かりの牛石とも言われております。 -
16.逆竹
この竹は天下の副将軍で知られる水戸光圀公に献上され。光圀公の杖として使われていた 竹です お礼に水戸光圀公から賜った硯が今でも長楽寺の宝物として歴史資料館に展示されており ます -
17.総門